2016年8月3日水曜日

浮鮴日記 三


古文の授業でも取り扱われる『増鏡』の「おどろのした」。その一節の、夏に後鳥羽院が水無瀬殿で若い公達と遊ぶ話。この話がとても好きである。
文武両道、諸芸に通じた鎌倉時代の帝王が、田舎の離宮で風流に飲み語らっている光景を想像すると、「そのパーティーぜひ参加したいです!」と連絡したいほど。

後鳥羽院が一緒に飲んでいる若い貴族たちに語りかける。
「源氏の物語に〈近き川の鮎、西川より奉れるいしぶしやうの物、御前にて調じて〉って書いてあるんだけど、何かシャレた料理っぽいから、さあ誰か御前で調理して」と。

こうやって突然始まる「源氏物語ごっこ」に上手にのっかるのが、若い俊英の公達の役目だ。

さてここで語られた源氏物語の「近き川」は鴨川、「西川」は桂川。
そして「いしぶしやうの物」とは「石伏のような魚」、「石に伏せる魚」であって、これはつまり「ウキゴリ」である。
後鳥羽院は酒宴の席で、ふとこの可愛げなウキゴリを食べたくなったわけなのか。
鴨川の鮎は当然として、ウキゴリも夏の京では旬の食材だったのだろう。ゴリの佃煮は琵琶湖周辺で今でも売っているそうである。

我が家の若い浮鮴をとうとう死なせてしまったので、これは追悼文である。当たり前だが食べて供養なんてことはしていない。

源氏物語風の鮎とウキゴリ料理のオーダーという後鳥羽院の無茶ぶりに、御随身は頓知みたいに対応する。
その辺の笹の上に飯を乗せて「どうぞ召し上がれ」と。源氏物語にある「笹の上の霰を手に取ろうとしても消えるように」という例えから引用して、つまり「見えない料理」を提供したのだ。

後鳥羽院はこの趣向の面白さに、自身の服を与える。
しかし風流人ではない私は「風流な人には見えない趣向の料理なんですよ」なんて言われたら「裸の王様」を思い出して、どうも腑に落ちない。花より団子である。
それは面白いんだけど、そんなことはいいから早く漁師から買ってこい。と言うかもしれない。

そしてもし自分が院の近くに侍っていたら、こう申し上げるだろう。
浮鮴はえらい可愛げがあるので、飼って眺めた方が趣がありますよ、と。
またいずれ水槽に入れたい魚である。

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