2015年6月2日火曜日

「ユトリロとヴァラドン」展 

東郷青児美術館が生活圏にあるのは幸福なことだ。近くにあって、こんな素敵な美術館って他にない。
ビルの中にあっておよそ美術館の雰囲気もなく、常設の作品はほとんどないけれど、とにかく企画展が外れない。メインストリームから少し外れた周縁の芸術家の展覧会が多く、やたらと集客に拘ってない感じが良い。値段も高くない。混まない。疲れない。

上野や六本木で得ることのある、異常な疲労感や金を無駄にした感覚をこの美術館で感じたことがない。

「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展に二度、足を運ぶことになった。動機はどうだっていいけれど、二回も行ったんだから何か書くことにしよう。

2015年5月22日金曜日

都心でパリに浸る

東京オリンピックに合わせて、新橋-虎ノ門の大通りをシャンゼリゼのようにする計画があるらしい(昨年の虎ノ門ヒルズ開業の頃に聞いた話なので、今はどうなってるのか知らない)。この「シャンゼリゼのように」というのは、広い歩道にオープンカフェ、高級ブティックが立ち並ぶ、なんて様相を表しているのだろうから、わざわざ男一人で行くことはないだろう。

パリに行きたい。
行きたいと思っても、ふらんすはあまりに遠し、である。

2015年5月21日木曜日

雨は止んだか

身体が病んでると、雨が止んだか解らない。何しろ病室には縁側がない。そもそも外出しないから天候を気にする必要もないけれど。

落ち着いた止水の無関心ではない。臥せる身体の湖面に波は起こっている。それがための感覚の鈍い停滞。

2015年3月8日日曜日

うずらの卵

東京の串揚げ屋での話。「う玉」とメニューに書いてあり、平仮名で「う」は当然「うなぎ」の「う」、「玉」は「玉子」だから、これは「う巻き」に違いない、う巻きの串揚げなんて大層なものだなあと早速注文したら、見慣れた小さな卵が三つ、串に刺されて揚げられて登場した。それからというもの、うずらの卵には個人的な恨みがある。もう間違いなく自業自得な逆恨みである。

2015年3月1日日曜日

《和牛》と曾我廼家文童

五、六年前、まだ大阪にいた頃に《和牛》の漫才を初めて観た。ABCのお笑い新人グランプリでスマップになりたがるというネタをやっていたと思う。二人の声や風格が印象に残っている。