青空文庫で『魚美人』というタイトルを目にして、面白そうなので目を通す。
著者は佐藤惣之助という詩人である。知らない名だったが、阪神の「六甲おろし」の作詞をしたらしい。
釣りへの欲求は、性欲みたいなもんだ。そう思っている。『魚美人』はそんな考えを詩藻に乗せてくれた短文だ。先人の偉大さ。三節の文章のうち、初めの一節のエロティックさといったら、もう。
魚は姿かたちに関わらず、与えられる感応・官能によって美人である。ともに揃って美しいのは清流の鮎と大海の鱚だろう。筆者も同じように語る。時代を超えても日本の釣り人は変わらないものだ。
外国にまで足を運んで、変わった魚を追うのは「イカモノ食ひ」だという。筆者は人情ではなく魚情を出して、一つの魚に真実に惚れる貞潔な釣り師を目指すという。
色んな魚に手を出しておいて「イカモノ食ひ」だなんてご都合がよろしいことで。
しかし「鮒に始まり鮒に終わる」という格言をまさに体現しているわけだ。
同じ場所で、同じ魚を、長年追い続ける釣り師はごまんといる。この文章に即するならば「昔はヤンチャだったかもしれませんが、今は誠実ですよ」ということだ。
ここまで。「魚」を「女」に変えても十分に通じる。なんて述べるとフェミニストに海の藻屑にされるかもしれない。
いやいや、落語の『野晒し』だって、文楽の『釣女』だって、魚じゃなくて女を釣り上げる話なんだから、昔から釣師の欲望とはそう扱われているのだ。
実際の女性に対する誠実さと、釣り人の強欲さとはさすがに無関係でしょう、と付言して。情欲が二つあるだけで、それぞれ別個である。
そういえば。
『情熱大陸』の武石憲貴さんの回は何度見ても最高の映像だと思う。武石さんは世界中を釣り歩く「怪魚ハンター」である。つまり「イカモノ食ひ」の第一人者、釣師としての光る君であり世之介である。
番組中で武石さんは「釣り人は強欲です」と言を漏らす。
また彼が実家の近くの川で雷魚を釣り上げ、自撮りする場面では「腕の中の魚体のエロティックな手応え」なんてナレーションが入る。
こういった要素が一々たまらなく刺激的だ。
前半ではモンゴルの大魚タイメンを攻略できず。恋破れて振られて帰る。後半ではカザフスタンでヨーロッパオオナマズを狙う。
そしてここで、ナマズが目標の大きさを超えたら、帰国してから恋人と結婚するという。魚への追求心と現実の恋心が重なって結末へと向かうのだ。
『情熱大陸』のこの回は個人的に「神回」というやつだ。
話が随分と外れた。
恋愛でも実践を知らずに座学に長けている人多し。私の釣りも頭でっかち、講釈垂れである。格好つけて「思弁的釣り師」とでも名乗ろうかしら。
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