『釣れない時 君は何を考へるか』の中で、作者の佐藤惣之助は自身が何を考えるかを散文詩で表した。
釣り師は夢想し、釣れない時にさらに夢見は深くなる。
ここで私は、釣り人であり小説家である開高健のテレビ番組を思う。
「開高健の大いなる旅路 スコットランド釣行」は開高健の釣り旅番組の一つで、他の開高健の番組と同じように映画並みの長さのスケールの大きい番組だ。
Youtubeで見られる他の開高健の番組と比べても、面白い内容だと思う。
スコットランドでフライフィッシングに挑戦する小説家。この釣りは英国では紳士の趣味だから、まずロンドンで衣装から揃え、そしてスコットランドの川へ出かける。その川というのが、イギリスの首相も務めたダグラス・ヒューム卿が所有する敷地を流れるプライベート・リバーというから驚きである。
可笑しいのは86歳のヒューム卿が川を案内する場面である。ヒューム卿は日本の小説家に何とか魚を釣ってもらおうと、ぴったりと横についてアドバイスを送る。釣り人なら解るが、横で色々と言われながら釣るのは窮屈でならない。
開高さんも卿の親切を断れるわけがなく、しかしさりげなく距離を置く。
見ていた卿は釣れないのを見かねてまた側に張り付く。彼の愛犬も離れず付いていく。はるばる日本からの客を優しく見守る主人を、さらに見守る黒い名犬の愛らしさ。
ナレーションのフランキー堺もまた良い。
ただ、釣竿を振る時に一々効果音が鳴るが、これは全く要らないな。
そしてスコットランドは近代日本の精神とも縁がある。ロンドン留学中の漱石が神経衰弱から逃れるために向かったのは、遠く離れたスコットランドだった。
自然と牧歌的光景が多く残るスコットランドは、未だ「近代的都会」を経験していなかった日本人にとって故郷の原風景と重なったのだろう。
番組でも、なぜか懐かしく感じてしまう風景映像が多く流れる。
そして、唱歌「蛍の光」の原曲スコットランド民謡を、開高健が現地の人たちと歌って番組は終わる。
釣れない時の開高さんが何を考えているかを窺えるのは、ヒューム卿が風邪のため同行しなかった日のことだ。
小説家は川の上のボートで釣り糸を垂れていた。釣れる気配は全くない。
”書くように喋る”と言われた開高さんが、釣れない時にどんなことを語っていたかを振り返ろう。イラチ(せっかち)のため彼は半分キレている。
「…孤独な川の上の小説家というのも最大傑作になるでしょう。
我々はいずこへ行くんでありましょうか。
ゴーギャン曰く「我らはいずこより来たりて、いずこへ去るか」。
彼は、「楽園を発見した」と叫んだんですが、そこで朽ち果てて死んでしまうという矛盾をやってのけました。
人間は矛盾の塊であります。そのことについて悩みます。自殺するのも出てくる。
藤村操は、人生の解ついにわからぬ、として華厳の滝へ飛び降りたと言われておりますが、ちょっと早すぎたね。
矛盾の塊だからこそ生きてゆけるんで、矛盾の多い人ほど、得てして豊かであるという結果も生みます。上手く歳をとるとそうなります。
たまにこういう遠いスコットランドのツイード川で、魚の釣れない、魚がいないとわかってる川で糸を垂れてみるのも一興であります。
これはむしろギリシャの哲学者に似ております。
…チャンネルはTBS‼︎ なんでしょうこれは。
(馬に乗った女性が笑顔で川岸を走って行く)ほほう、マダム・ゴダイバ! 美女が一人、ブチの馬に乗って川岸をトットットッと行きました。
まあ今日はウオ釣りよりはウマ乗りの日でしょう。」
話し言葉なのに、文章にしても名文のように見えるのは流石だ。
開高健が語るこのシーンだけ、なぜかふと見たくなる。
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