2017年5月15日月曜日
料理
昔から身体を支配できないような、如何ともしがたい感覚があった。それが強烈な劣等感でもある。病気になって、それは加速した。寒暖すら全くどうにも理解できず、腹が減っているのかどうかも。指先も舌先もままならない、ような気がしている。
2017年5月13日土曜日
2016年8月3日水曜日
2016年6月26日日曜日
2016年6月5日日曜日
2016年5月26日木曜日
カップルの絵を特集してみる 前書き
『エデンの園』という絵に惹かれた、と書いた。
あの絵が映画っぽいなと思ったのは、映画の中で「恋愛」が当然存在するのに、絵画では中々カップルを見ないからでもある。ここでのカップルというのは神話の住人ではなく、現実的な恋人同士という意味で。
あの絵が映画っぽいなと思ったのは、映画の中で「恋愛」が当然存在するのに、絵画では中々カップルを見ないからでもある。ここでのカップルというのは神話の住人ではなく、現実的な恋人同士という意味で。
2016年5月22日日曜日
2016年5月12日木曜日
『ジュラシック・ワールド』のモササウルス
『ジュラシック・ワールド』に登場する大型海棲爬虫類のモササウルス。
彼女は物語の最後に、実質の主役となる。まさに「漁夫の利」で。
この生き物に関して、ちょっと疑問を語りたい。
彼女は物語の最後に、実質の主役となる。まさに「漁夫の利」で。
この生き物に関して、ちょっと疑問を語りたい。
2016年5月4日水曜日
2016年4月28日木曜日
釣れない時 開高さんは何を考へるか
「釣れない時 私たちは何を考へるか」から。
『釣れない時 君は何を考へるか』の中で、作者の佐藤惣之助は自身が何を考えるかを散文詩で表した。
釣り師は夢想し、釣れない時にさらに夢見は深くなる。
ここで私は、釣り人であり小説家である開高健のテレビ番組を思う。
『釣れない時 君は何を考へるか』の中で、作者の佐藤惣之助は自身が何を考えるかを散文詩で表した。
釣り師は夢想し、釣れない時にさらに夢見は深くなる。
ここで私は、釣り人であり小説家である開高健のテレビ番組を思う。
2016年4月14日木曜日
2016年4月12日火曜日
2016年4月1日金曜日
釣れない時 私たちは何を考へるか
「釣りって暇でしょう」とか「釣り人って気が長いよね」とか、ありがちな暴論に対して。
「釣りをしている時は、どうやって釣れるか常に周囲を観察して考えているから暇じゃない」とか「セコセコ動かないと釣れない。釣り師は短気でなきゃいけない」とかいう釣り師の反論。
ここまではよくある話である。
「釣りをしている時は、どうやって釣れるか常に周囲を観察して考えているから暇じゃない」とか「セコセコ動かないと釣れない。釣り師は短気でなきゃいけない」とかいう釣り師の反論。
ここまではよくある話である。
2016年3月21日月曜日
2016年3月14日月曜日
金魚はなぜ金魚なのか
金魚が好きになれない。子供の頃、水槽が玄関の外に置いてある下町の家の前を通る度にその中を覗いてみると、苔まみれ藻まみれの緑の水の中にはたいてい妖怪のように育った金魚がひそんでいて不気味であった。
2016年3月12日土曜日
2016年3月10日木曜日
ウォーキング・デッド シーズン6の11話
海外ドラマを最後のシーズンまで見届けるってのを経験したことがない。
放送中の話題作の最初の1話を見る、
続きが気になって一気に見る、
最新話に追いつく、
1週間ごとの放送が焦れったく感じる、
シーズンが終わってから続シーズンまでの何ヶ月もの期間、ここで飽きる。
もう一度見返そうとも思わないし、冷めた関心が再沸騰しないのだ。こんな人って多いんじゃないかしら。
放送中の話題作の最初の1話を見る、
続きが気になって一気に見る、
最新話に追いつく、
1週間ごとの放送が焦れったく感じる、
シーズンが終わってから続シーズンまでの何ヶ月もの期間、ここで飽きる。
もう一度見返そうとも思わないし、冷めた関心が再沸騰しないのだ。こんな人って多いんじゃないかしら。
2016年2月4日木曜日
2015年6月2日火曜日
「ユトリロとヴァラドン」展
東郷青児美術館が生活圏にあるのは幸福なことだ。近くにあって、こんな素敵な美術館って他にない。
ビルの中にあっておよそ美術館の雰囲気もなく、常設の作品はほとんどないけれど、とにかく企画展が外れない。メインストリームから少し外れた周縁の芸術家の展覧会が多く、やたらと集客に拘ってない感じが良い。値段も高くない。混まない。疲れない。
上野や六本木で得ることのある、異常な疲労感や金を無駄にした感覚をこの美術館で感じたことがない。
「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展に二度、足を運ぶことになった。動機はどうだっていいけれど、二回も行ったんだから何か書くことにしよう。
ビルの中にあっておよそ美術館の雰囲気もなく、常設の作品はほとんどないけれど、とにかく企画展が外れない。メインストリームから少し外れた周縁の芸術家の展覧会が多く、やたらと集客に拘ってない感じが良い。値段も高くない。混まない。疲れない。
上野や六本木で得ることのある、異常な疲労感や金を無駄にした感覚をこの美術館で感じたことがない。
「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展に二度、足を運ぶことになった。動機はどうだっていいけれど、二回も行ったんだから何か書くことにしよう。
2015年5月22日金曜日
都心でパリに浸る
東京オリンピックに合わせて、新橋-虎ノ門の大通りをシャンゼリゼのようにする計画があるらしい(昨年の虎ノ門ヒルズ開業の頃に聞いた話なので、今はどうなってるのか知らない)。この「シャンゼリゼのように」というのは、広い歩道にオープンカフェ、高級ブティックが立ち並ぶ、なんて様相を表しているのだろうから、わざわざ男一人で行くことはないだろう。
パリに行きたい。
行きたいと思っても、ふらんすはあまりに遠し、である。
パリに行きたい。
行きたいと思っても、ふらんすはあまりに遠し、である。
登録:
投稿 (Atom)
